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セネカ『富というものは、それを必要としていない人の元へ集まるものなのです。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ローマ帝国哲学者 セネカ画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察

TOYOTAグループ創業者、豊田佐吉は言った。

 

あるいは、キリストの言葉の超訳として書いた記事、

キリスト

 

ここにもあるが、富を得ようとしたら、それを欲してはならない。それは一体どういうことなのだろうか。簡単だ。まず、お金が欲しくて欲しくてたまらない、という、そういう拝金的で軽薄な、金の為なら人の道も簡単に踏み外す、という人間を思い浮かべればいい。そういう人が、例え刹那にお金を作っても、それはおそらく強引な手法を使い、『膨張』的であることは、想像にた易い。

 

また、渋沢栄一の『論語と算盤』にはこうある。

(かの孔子孟子の教えを、孔孟教というが、これは『儒教』のことである。儒教は別名『孔孟教』、つまり『孔子と孟子の教え』だ。)

その孔孟教の誤り伝えたる結果は、『利用厚生に従事する実業家の精神をしてほとんど総てを利己主義たらしめ、その念頭に仁義もなければ道徳もなく、甚だしきに至っては法網を潜られるだけ潜っても金儲けをしたいの一方にさせてしまった。従って、 今日のいわゆる実業家の多くは、自分さえ儲ければ他人や世間はどうあろうと構わないという腹で、もし社会的及び法律的の制裁が絶無としたならば、かれらは強奪すらし兼ねぬという情けない状態に 陥っている。(中略)義利合一の信念を確立するように勉めなくてはならぬ。富みながらかつ仁義を行い得る例は沢山にある。義利合一に対する疑念は今日直ちに根本から一掃せねばならぬ。

 

 

松下幸之助も、

 

と言ったが、利他の精神を備え持った人間だけが、金を持つ権利があるのだ。

 

 

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