偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ローマ帝国の哲学者 セネカ(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
先にこちらから愛すること。これが原則である。この一行で終わりだ。しかし、この一行を遂行できる人間は多いわけではない。まず理解したいのは、『愛=与えるもの』という図式だ。これがわかっていれば、もう半分解決したようなもので、理解していないのなら、(欲しい。欲しい)と念仏のように唱え続け、気づいたら今の図式を忘れて(貰いたい。貰いたい)という方向に心が傾いているだろう。
そこに『愛』はない。『恋=奪うもの』という図式と一緒に考えたい。どちらにせよ、欲している時点で、そこに没我はない。没我というのは、文字通り『我を抑える』ということであり、その真逆が『我を押し付ける』ということだ。
トルストイは言った。
『愛』があれば自然と自分は没我的になり、(相手が満たされれば、それでいい)という境地に心が落ち着くことになる。つまり、冒頭の一行を遂行できる人間とは、この境地に心を持っていくことが出来た人間。見返りなどなくても、損な役回りを担うことになっても、別に『苦』だとは思わない。重荷ではないと考える。そこにあるのは間違いなく『愛』だ。愛は没我を与えるのである。
『損して得取れ』という言葉がある。そのようにして、人間は、一時的に損な目に遭ったと思っても、実は、後で大きな徳を得ることがあるものである。かくのごとく、セネカの言う通りだ。
関連リンク:ギン『おれには…この人を殺せません!!!』
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