偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
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[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
『つま先で立つ者は長く立っていられない。大またでまたぐように歩く者は遠くまでいけない。自分から見せびらかそうとする者は人々に知られない。自分は正しいのだと主張する者もその良さをまわりに認められない。自ら自慢する者は業績を認められない。自ら才能を誇る者は、人の長になれない。このような行いはみんなが嫌う。よくわきまえた者は決してそういった行動はしない。』
『延長自我』とは、人に自分を理解させたくて、意見を主張するのはいいが、そのエゴ(我)が押しつけがましくなり、相手が怪訝な顔をするときに、行われている自我である。
『リア充アピール』が好き、という人の話は、あまり聞かないだろう。別にそれについて憂う必要はない。いや、ここで言っている『憂う必要はない』というのは、短絡的に考えた人が今捉えた、
(はぁ、どうして人間ってこんなに愚かなのかしら)
という人に対する発言ではない。いや、更に言うなら、
(はぁ、どうして人間ってこんなに愚かなのかしら)
ということでいいのだが、『短絡的に考えた人』というのは=思慮浅い人であり、つまりこの発言を『他人に向かって言っている人』のことなのだ。そういう人に対して『憂う必要はない』と言ったのではない。この発言を『自分に向かって言っている人』に対して言ったのだ。
つまり、人がなぜ『リア充アピール』をしたり、『延長自我』を引き起こしてしまうかというと、自分の人生が虚しいものだということを、心底で理解しているからなのだ。
だから必死になって、そうしてしまうのだ。その『必死さ』が『無理矢理』となり、そして他人の『違和感』へと繋がるのである。そんな虚しい自分に対してため息をつき、憂う人に対し、私はそう言ったのだ。
元伊藤忠商事会長、越後正一は言った。
ドイツの哲学者、ディルタイも、
と言っている様に、無理矢理みじめな自分を正当化して、それを強要し、『違和感』を与えているようでは、人の心は動かない。『違和感』を与えたいのか。それとも、『信頼』して欲しいのか。そのことについて一度じっくりと考えた方が良い。憂う必要はないのだ。むしろ、儚いからこそ、尊いのだ。
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