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魯迅『青年時代には、不満はあっても悲観してはならない。つねに抗い、戦い、かつ自衛せよ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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目次

考察

『青年時代には、不満はあっても悲観してはならない。つねに抗い、戦い、かつ自衛せよ。もし茨(いばら)を踏まねばならぬものなら、もとより踏むのが良いが、踏まずにすむものなら、みだりに踏むべきではない。』

 

オスカー・ワイルドはこう言い、

 

ガンジーがこう言ったように、

 

不満があるということは、それよりも高い視点が見えているという事の証だ。下のメーターで考えた時、

 

 

『左のゲージ』にいる人は、不満がない。だが、『右のゲージ』にいる人は、不満がある。

 

福沢諭吉はこう言い、

 

現代の経営の神、稲盛和夫はこう言ったように、

 

逆に、『右のゲージ』で在ることは、人としての責務であることを知らなければならない。従って、不満はあっていいのだ。だが、それについていちいち悲観する必要はない。己と闘い、悪と戦い、かつ、リスクや脅威からは身を守らなければならない。その判断基準はまさに、絶妙である。

 

たとえば、モンテーニュはこう言った。

 

自分の事を考えなければ生きていけないし、家族も守れない。だが、自分本位にも人間本位にもなってはいけないし、悪を許すことも、見て見ぬフリをして自分たちだけが清く生きる、何ていうことは出来るわけがない。見て見ぬフリをしている時点で、『インチキ』なのだから。

 

太宰治は言った。

 

だから、リスクにわざわざ無謀に突っ込む、例えば、戦場に素人が飛び込んでいって、何かを叫んでも、流れ弾に当たって死ぬのが落ちであるように、そういうことはしてはならないが、かといって、それらを見て見ぬフリをして生きていく人生は、『生きながらえる』人生に他ならない。モンテーニュ曰くそれは、『生きられるだけ生きる(人生にしがみつく行為)』であり、

 

ブッダに言わせればそれは、

ブッダ

 

自身が強く諭す罪の定義である『執着』に当てはまるのである。しかし、こと『青年時代』ということであれば、まずは自分の人格が未熟であることを悟ることが重要だ。いずれ来る成熟期に本当の大義を果たせるように、今はただひたすら、隠蔽するのでもなく、自暴自棄になるのでもなく、無茶無謀に走るのでもなく、確実な一歩を踏み続け、積み上げるべきである。

 

 

 

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