偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]古代ギリシャの哲学者 プラトン(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
だとすると『正義』の概念に信憑性などない。『義』として存在するその厳かな絶対規範は着目に値するが、『各々が掲げる正義』となると、それぞれの見解でもって曲解が行われ、例えば、テロリストが人を殺すときに、
[say name=”” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]これは、正義の鉄槌だ![/say]
と言うことが、良しとされてしまう。私にはそれが『正義(正しい義)』には見えない。つまり、『1』のように、全世界の人間が見てもこの数字を『1』として認識するように、そういう絶対に近い原則が『正義』であるなら納得できるが、そうじゃなくて例えば、下記にある『一番左』の色を、
『緑』と断言することは、納得することが出来ない。そうも見えるし、『青』と言ったり『青緑』と言ったり『エメラルド』と言うこともできるはずだ。
だとすると、『各々が掲げる人為的な正義』というものは、その『色の認識の正当化』に近いものがあるような印象を受け、重要なのはそこではなく、上の色鉛筆には多種多様な色がある』ということだけが、『正義』であるのではないだろうか。それ以外は、『不確か』だからだ。つまり、『不確かなもの』に正義はない。正義は、『確かなもの』であるはずだ。
しかしプラトンの言う通り、『人間各々が掲げる正義』というものは、かくも虚ろでおぼろげである。何しろ、人間自体が恒久的におぼろげな存在なのだから。
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