偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ドイツの哲学者 ニーチェ(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
やなせたかしはこう言い、
トルストイはこう言い、
あるいはこうも言った。
つまり、『愛=没我』であるという図式を押し出しているのがこの二人で、ニーチェは『いや、それは偽善である』とでも言うかのように、犠牲行為によって計画される道徳は、ほとんど野蛮である、と言ったわけである。だとしたら、この両者の間にある差異は、『キリスト教』だろう。やなせたかしはクリスチャンだ。トルストイもほぼそうだ。やなせたかしの『アンパンマン』は、何を隠そう、あのイエス・キリストがモデルになっているのだ。
そしてニーチェはキリスト教が大嫌いだ。
と言ったほど、それを拒絶していたのである。私はというと、かつてはニーチェ派だった。両親に、クリスチャンになることを強要されていたからだ。親ごと宗教も、この世から消えてなくなればいいと思っていた。
だが、今は違うし、『愛=没我』であるという図式にも信頼を抱いている。ただし、『犠牲行為=野蛮』であるという図式にも、信頼を抱いている。確かに少し、野蛮な印象なのだ。ニーチェのこの言葉から内省できることは、とりあえずここまでだ。前後の文章によって、また違った発想が頭に浮かぶだろう。
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