MENU
index

ニーチェ『私はキリスト教を一大呪詛と呼ぶ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ドイツ哲学者 ニーチェ画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
[adrotate banner=”6″]

目次

考察

 『私はキリスト教に対するこの永遠の弾劾を壁という壁、壁さえあればどこでも書き付けたい。私は盲目でも読める文字を持っている。私はキリスト教を一大呪詛と呼ぶ。』

 

私も両親にクリスチャンになることを強要されたから、気持ちはよくわかる。わかるが、『一大呪詛』と言って糾弾するということまでには至らない。なぜなら、両親が確かにその『キリスト教』によって、救われているのをこの目で見てきているからである。例えば母親は、早くに姉を亡くしていて、弟は精神分裂病にかかって、数十年治ることなく、数年前にそのまま亡くなった。詳しくは効いていないが、子供もおろしたことがある。

 

私がもし母親の身であれば、もしかしたら自殺しているのかもしれない。それを阻止してくれるのがこの『キリスト教』という信仰だったのであれば、私はそれを、一辺倒に切り捨てることはできない。しかし、ニーチェにこうして断言してもらって、スッキリするというのも本心だ。そうじゃなければ私もこうして、キリストのページを作ることはなったのだから。

 

私は彼を『人間』だと捉えているのである。

 

 

考えることはたくさんある。しかし、もしこれが『パウロ』を含めた、多くの弟子たちによって作られた『寓話』が発端なのであれば、まったく、『呪い』と言っても過言ではない話だ。

 

 

 

[adrotate banner=”7″]

関連する『黄金律

[kanren id=”22519″]

同じ人物の名言一覧

[kanren id=”28798″]

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次