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ニーチェ『血と格言をもって書く者は、読まれることを望まず、暗誦されることを欲する。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ドイツ哲学者 ニーチェ画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察

『暗誦(あんじゅ)』とは、覚えたことを、口に出して唱えることの意味。読むだけではなく、暗誦してもらいたい。そう願う人間の意志は固く、心は燃えている。『格言』とは、短い言葉で、人生の真理や処世術などを述べ、教えや戒めとした言葉。つまり、『血』と出ているとこからして、この『格言を書く者』は、並々ならない気配を漂わせているわけだ。

 

つまり、ヘンリー・デイヴィッド・ソローがこう言い、

 

エマーソンは、著書『自己信頼』で言ったが、

客人にこんなことをいうのは、粗野で無礼なふるまいかもしれない。しかし真実は、偽りの愛情よりも人の心をとらえる。善良さにも、ある程度の気骨は必要だ。そうでなければ、善良さは何も生まない。もし愛の教えが弱音や泣き言しか生み出さ荷ならバランスをとるために憎しみの教えも説かなければならなくなる。自分の天分を果たす為なら、私は父、母、妻、兄弟からも距離をおくだろう。

 

真理を説く者というのは、並々ならない覚悟が必要とされるわけだ。『何よりも真理に重きを置くべきである』という考え方がなければならない。

 

例えば、私も本当に重要なことを自分の部下に助言するとき、部下が、それを軽率な態度で受け入れようとするならば、激昂さえする。しかし往々にしては、『豚に真珠』であり、『猫に小判』だ。部下の現状のレベルでは、常に真珠や小判よりも、穀物やキャットフードの方が『わかりやすい』。従って、部下はこちらからの真の助言を暗誦せず、読むだけになってしまう。

 

だがそれでも、真理の重さを理解していればいるほど、相手にそれを理解してもらいたい、いや、するべきだと考えるのである。

 

 

 

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