偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ドイツの哲学者 ニーチェ(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
違和感を覚える。妙だ。偉人の言葉を6000ほど向き合って内省してきた私が、この言葉に違和感を覚えている。ニーチェは一体どういうつもりでこの言葉を言ったのだろうか。恐らく、短絡的に考えてしまえば、読んで字の如くだ。しかし、これはおそらく『風刺』であり、『揶揄』である。『風刺』というのは、機知に富んだ皮肉だ。
(それがまかり通っているが、本当にそうなのかね)
という、投げかけである。まず考えたいのは、高杉晋作のこうした言葉や、
小林多喜二のこの言葉だ。
また、ニーチェはこうも言ったわけだが、
だとしたらやはり、見えてくるのは、
『喜びや、快楽、楽しみを共有することはた易い。人間関係が脆弱なものでも、それを共有することが出来る。だが、哀しみや、苦痛、負荷を共有することは、困難だ。固い絆で結ばれた人間関係がなければ、それを共有することは出来ない。』
という見解であり、ニーチェのこの『喜びをともにすることが友人をつくる』という言葉は、違和感を覚えざるを得ない。だとしたら、間違っているのは『蔓延している友人という概念』である。つまり、『多くの人間が認知している友人というものは、所詮その程度のものだ。苦しい状況になった時、さっと逃げる。そういう脆弱なものなのだ。』という、揶揄たる皮肉である。
『『中国古典』の教え』の『史記』にはこうある。
『地位が上がったり下がったりすることによって、付き合いの深さが良くわかる』
こちらが調子のいい時は放っておいても人は集まるが、落ち目になると、さっと去っていく。遥か昔から今において、変わることのない愚かな習性である。(中略)『だが、初めからそれが人情だと心得ていれば、人が寄ってきたからといって喜ぶこともないし、去っていったからといって嘆くこともないのである。』
人間のいう『友人』など、所詮その程度のものだ。だが、最初から『それが人間というものである』と理解していれば、裏切られたとき、大きな挫折を味わうことはないだろう。
美輪明宏は言った。
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