偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/02/レディーアイコン4.png” from=”right”]マケドニアの修道女 マザー・テレサ(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/02/シャーロックホームズアイコン2.png”]ふむ…。[/say]
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考察
言葉だけを見ると崇高なのだが、しかし『愛』が何であるかを理解しているかどうかだ。
ナイチンゲールは言った。
そこにも書いたが、私の部下には甘やかされて育った人間がいて、しかし幼少の頃に事故で兄を亡くしている。だが、子を失ったこの部下の親は、残ったもう一人の子を甘やかし、その結果、ふざけた馬鹿が育ったのである。
ブッダの言葉の超訳として私が書いた、
を見ればわかるが、『育児と教育は違う』のだ。つまり、『不合理、非論理的、利己的』な人間の『魔性』的要素を、助長、増大させる手助けになってしまわないかどうかだ。それがカギなのだ。聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。
『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』
つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。
その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。だとしたら、見えて来るのは『聖性を優位にし、魔性を劣位にする』ということで、そこにあるのは、魔性と聖性の真剣勝負である。更に言えば、昨今一部の狂信者が世界を騒がせているが、イスラム教における『ジ・ハード(聖戦)』とは、何も人を惨殺することを許可する、という凶悪な概念ではない。
『神の為に奮闘する』ことを意味し、つまり、その『神』というものは、しばしば『愛、真理』と『=』であると考えられるわけで、例えば、『人に裏切られ、殺意を覚えた』というとき、そこに現れるのは間違いなく『魔性の疼き』であるわけだが、しかし、それを聖性の力で劣位にさせよう、という『闘い』こそが、この『ジ・ハード(聖戦)』なのである。
『不合理、非論理的、利己的』も、人間の『魔性』的要素だ。決して『聖性』ではない。それを『愛せ』というのは、聖書をバイブルとするマザー・テレサは、どういうつもりで言ったのだろうか。きちんと、『魔性を根絶する』意味で言ったか。それとも『魔性を助長する愛』を施したのか。
人間の腸の中には、善玉菌と悪玉菌がいる。そのうち、悪玉菌が優位になってしまったとき、人は、下痢や便秘等の症状を出す。
つまり、常として善玉菌を優位にする必要があるのは、ヤクルトやヨーグルトを飲んでビフィズス菌(善玉菌)を増やそうとしたことがある人の、良く知るところである。これは非常に重要なポイントだ。まさかマザー・テレサは、目の前で人が殺された時、その犯人が表層的に、
[say name=”” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png” from=”right”]悪かった。俺が悪かった。[/say]
と演技したとき、
[say name=”” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/女性の人物フリーアイコン素材.png”]いいのよ。あなたは悪くない。あなたを愛します。[/say]
と言うのだろうか。
これは、ガンジーの話だ。
3発のピストルの弾丸を撃ち込まれたとき、ガンジーは自らの額に手を当てた。これはイスラム教で「あなたを許す」という意味の動作だった。しかしこれは本人の場合だ。目の前で、自分以外の人が殺されて、しかも相手が、『悔い改めた演技をした』のである。マザー・テレサはその相手を、どう愛するつもりなのだろうか。
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