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マザー・テレサ『仕事を祈りであるかのように続ければよいのです。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/02/レディーアイコン4.png” from=”right”]マケドニア修道女 マザー・テレサ画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/02/シャーロックホームズアイコン2.png”]ふむ…。[/say]

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目次

考察

『生活の中にいろいろなことが入り込むので祈れない、という言い訳をする人たちがいます。そんなことはありません。祈るために仕事を中断する必要はありません。仕事を祈りであるかのように続ければよいのです。大切なのは、神とともにあり、神とともに生き、神の御心を自分のものとして行うことなのです。清い心で人々を愛し、すべての人、とくに貧しい人々を愛することが、間断ない祈りになるのです。』

 

まず、キリスト教徒ではない人は、『神=愛=真理』という図式を想像すれば間違いない。もし探求心が強いという人がいるならば、下記の記事を見ると更にその意味が理解できるだろう。

 

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祈り=宗教

 

という図式になってしまうと、範囲が限定される。範囲が限定される教えなど、固執している。その様な偏った教えは、真の教えではない。全人間にとって普遍的な教えでなければならない。『祈り』は、別に宗教儀式ではない、と言いたいのだ。キリスト教を強要され、親を死ぬほど憎んだ時期を経験した私が言っているのだ。これで十分だろう。

 

では、『仕事を祈りのように行う』というのはどういうことだろうか。それはもちろんまず、『祈る時間がない』と言い訳をする人に対し、『いや、食事や仕事等の生活習慣と同じように、生活習慣に組み込めばいいだけだ』ということではあるが、こういう解釈もできる。

 

(あの人たちは今どんな水を飲んでいるだろうか。あの人たちは今どんな苦労を強いられているだろうか。その苦労に比べて私の苦労はどうだろうか。その水に比べて私の水はどうだろうか。

 

子供達

 

良いんだろうか。これで良いんだろうか。何かできることはないのだろうか。何をすれば彼らの為になるだろうか。というか、彼らの為という考え方は、どこか人として越権行為ではないのだろうか。

 

この与えられた命の日数で、私は何が出来るだろうか。何をして、何を得て、何を食べ、何を見て、何を遺し、何を伝え、どんな人生を送ることが出来るだろうか。あの宗教は正しいのだろうか。あの戦争は正しいのだろうか。世界平和は来ないのだろうか。

 

戦争

 

この仕事を続けていて、毎日に追われていていいのだろうか。自分の人生はこのままで、本当にいいのだろうか。

 

自分が出来ることは限られているなあ。自分が仕事をして納めた税金でどれだけ貢献できているかなあ。金持ちに比べたら塵の様な金額なんだよなあ。それでも意味はあるのかなあ。でも、やるしかないよなあ。やれることをやるしかないんだよなあ。)

 

そうだ。それでいいのだ。

 

マザー・テレサは言った。

 

心の片隅にでも世界の平和を祈る心を置く。たったそれだけのことが、ひどく重要なのである。

 

 

 

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