偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/ガンジーアイコン1.png”]インドの宗教家 ガンジー(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
随分前になるが、私は当時の彼女に、
[say name=”” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/女性の人物フリーアイコン素材.png”]先生みたい。[/say]
と言われて、揶揄されたことがある。当時からプライドの塊のような私だ。それについて沸き起こる感情は激昂に近いものがあったが、だからといってそれを暴力で表すようなことはしない。特に相手は、女性だからだ。
では、その怒りをどこにぶつけようかと思ったら、すぐに答えは浮かび上がってきた。『自分』である。私は彼女に対し、目に余る部分を助言していたつもりだった。しかし彼女からすれば『余計なお世話 』だったのだ。なぜ彼女はそう思ってしまったのだろうか。考えられる理由はこうだ。
一つ目は、私の意見が的外れだった。二つ目は、私に説得者要因たる要素が足りなかった。三つ目は、私達は恋人であって教師と生徒ではない、そういう考えがあったからだった。私はその全ての要因に目を向け、自分がどう変わるべきか、相手をどう変えるべきか、二人の関係性の在り方について、考え直した。
彼女は言った。
[say name=”” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/女性の人物フリーアイコン素材.png”]口で言われるとやりたくなくなる頑張ってる姿を見ると、私も頑張ろうって思う。でもそれを、強要されるとやりたくなくなる。[/say]
こうして思い返してみると、彼女はずいぶん、私の考え方に似ている女性だったのだ。私も同じ考え方で人生を生きていた。それは今も同じだ。そこまで考えた時、ガンジーのこの言葉が胸に沁み渡る。
そもそも人に物を教えるということ自体が、越権行為に近いのだ。親と子、教師と生徒、師匠と弟子、上司と部下といった、ハッキリとした上下関係がないのであれば、自分が出来ることは、自分の人生に最善を尽くすこと。それだけなのである。
追記:この記事から4年。また最近も同じようなことがあった。私が女性に物を教えようとして、しかし相手はそれをそこまで真剣に受け入れなかった。私はこのように、気がついたら傲慢不遜に陥り、越権行為にひた走る傾向がある。自分の方が立場が上であるということをハッキリさせようとするのだ。
だが、ほとんどの人は上限関係をはっきりさせたいというよりは仲良くなりたい。それぞれに抱えているコンプレックスや夢や目標がある。それなのにいきなり現れた人間に上から物を言われれば、拒絶したくなるのは当然だ。
ここに書いたように、私は『不言実行』をしてみせることにシフトチェンジした。幸いなことに、こうして日々このことについて考えていたから、彼女と話し終えたそのすぐ後に自分の態度の違和感に気が付き、謝罪のメールを入れることができた。口が達者で、あるいは吃音症の部下を抱えていることもあって、私はついべらべらとおしゃべりが過ぎてしまうようだ。しかし、もし私が他人に自分の実力を認めさせ、尊敬してほしいなら、やるべきことはおしゃべりではない。
『人生そのものが、私の教えです。』
ガンジーは、『自分の人生を見てくれ。そこに私が教えたいことが詰まっている』という意味でこの言葉を言った可能性が高い。それはつまり、口ではなく、行動に移したということ。私も彼ら偉人に負けないと自負している以上は、このことをごく当たり前のように習得し、不言実行に重きを置かなければならない。
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