偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]イギリスの哲学者 フランシス・ベーコン(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
確かに私も、『キリスト教の教え』そのものは、一部を除いて極めて傾聴に値すると確信している。重要なのは、『私』だ。つまり、この私である。何を隠そうこの私は、実に29年間の間、両親にクリスチャンになることを強要されて育ったのだ。
それは、今書いたとおり『強要』だった。人の心を救うはずの信仰が、人の心を長い間苦しめていたのである。そして私は、両親の死を心底から願った。もう、呪ったと言った方がいい。それぐらい、私の心や意志をないがしろにして、それを強要する親を怨んだし、キリスト教も含めた全宗教を憎んだ。それが『私』だ。その私が言っているのだ。少しぐらいは傾聴に値するはずである。
しかし、ヴォルテールはこう言い、
ガンジーはこう言い、
マザー・テレサはこう言い、
フランスの小説家、プレヴォは言った。
新約聖書を書き、キリスト教を世界宗教へと発展させたのは、イエス・キリストではなく、その代表的な弟子の一人、『パウロ』だ。新約聖書は、パウロが、キリストが十字架に貼り付けられて死んだのを見て、『神との新しい契約だ』と解釈したことから生まれた書物である。つまり、それらの真相はさておき、とにかく『キリスト教の教え』というものは、誰の教えだろうが、傾聴に値するものがあるということは紛れもない事実。極めて研ぎ澄まされていて、『人間の説明書』がないこの世の中で、それを謳うに相応しい聖典(バイブル)であることは疑いようがないだろう。
ただし、それを伝えている人間が正しいということにはならない。つまり私の場合で考えれば、『それを伝えた人間』が間違っていた為、宗教自体を忌み嫌ってしまったということなのである。ベーコンの話も、その正確性は疑わしいが、しかし、その蓋然性は極めて高いと言っていいだろう。かつて、実の親と宗教を呪うほど憎んだ、この私が言っているのだから。
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