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エジソン『権威ある本といっても、すべては人の書いたものだ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察

だから『依存』するのはいささか浅薄である。更には、ショーペン・ハウエルがこう言っているように、

 

その書物に依存したり、読書に依存したりする行為には、メリット以上にデメリットが潜んでいるのである。例えば私の親などはクリスチャンであり、当然バイブルにあったのは『聖書』だった。しかし、おかしいのは、それをバイブルとしているはずのこの両親に、首をかしげざるを得ない言動が見受けられたのが、一度や二度ではないのだ。彼らが完全ではないのか、聖書が完全ではないのか、キリスト教が完全ではないのか、恐らくその答えは、全てだろう。

 

例えば、ガリレオコペルニクスが『地動説』を説くまでは、キリスト教で信じられていた『天動説』が常識だった。

 

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しかし真実は、『地動説』に近かったわけで、

 

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更には、地球も太陽も、宇宙の真ん中ではなかったのだ。しかし、この時代の人間は、『天動説を信じていた(間違った事実を、真実だと勘違いしていた)』のである。

 

それに、キリスト教を作ったのも、それを世界宗教にさせたのも、イエス・キリストではなく、『パウロ』だ。『新約聖書』の大部分を書いたのはこのパウロだが、彼は最初、対立するユダヤ教徒であり、キリスト教徒迫害の先頭に立っていた。だが、ある日イエスと出会い、考えを変えた。しかし、パウロが『会った』のは『生前のイエス』ではなく、『(復活した)神であるイエス』であり、『十二使徒』を軸に考えるなら、自分こそは十三番目の使徒ではなく、『最初の使徒』であり、特別なのだということを主張する点において、当時このパウロに関しては様々な問題点が見られていたという。

 

そんなパウロが作った本の正確性はどうだろうか。権威ある本といっても、すべては人の書いたものだ。

 

 

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