偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/02/レディーアイコン4.png” from=”right”]フランスの哲学者 シモーヌ・ヴァイユ[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/02/シャーロックホームズアイコン2.png”]ふむ…。[/say]
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考察
『へだたり』というのは、相違である。相違があるということを例えば、『あいつとの隔たりがあって、ちょっと無理なんだ』等と言って、人間関係の溝や距離感を示すことがある。
では、話を変える。『恋』は奪うもの、『愛』は与えるものである。ということは、『愛』とは、『恋』よりも『妥協』している。あるいは『容認』していて、『寛容』している。男女など、最初から『凸凹』の図の通りだ。同じ種類でも、形が違うのである。それらを理解して、認めること。それが愛である。
トルストイは言った。
愛とは与えるものであり、没我である。没我心があれば相手とのへだたりがあっても、うまくやっていくことができる。逆に『突我』であれば違う。『とつが』というのは今私が考えた言葉だが、没我の対義語であるこれは、文字通り『我が突出』してしまっている。そうするとへだたりが更に浮き彫りになり、それが原因となって問題が悪化することになる。
どちらかが『没我』的でなければならない。しかし、それを自分だけがやるのは損である。…と考えるような人には『愛』はない。愛は人生に没我を教えるからである。
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