偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ドイツの詩人 リュッケルト(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
つまり『表裏的』な人間は信頼できないということだ。見てているところでも見えないところでも同じ評価をする。それが本当の友人というものだということである。しかし、リュッケルトの言う様に、確かに『前から見れば綺麗に見える薔薇、後ろから見ると人を傷つけるトゲ』ということであれば、それは表裏的であり、そこには裏表があり、彼は偽善者だ。
だが、『前から見ると痛々しいトゲ、後ろから見ると心温まる薔薇』であった場合はどうだろうか。損な役を買って出る人間こそ、真の友人の名にふさわしい。
イギリスの神学者、トーマス・フラーは言った。
リュッケルトの言うのは『実質』の話であり、ある方向から一方的に見た『偏見』で考えた時、自分にとって『痛い言葉』を言うその相手が、『前から見ると痛々しいトゲ、後ろから見ると心温まる薔薇』になるケースもあるということを、覚えておいた方が良い。つまりその場合、『トゲは錯覚』であり『被害妄想』だった。本当はただの『心温まる薔薇』だったのだ。それを偏見で曲解しただけだったのである。
トーマス・フラーの言うように、見えるところでは相手の為に、ときには罵倒するような厳しい口調を使うことがあるが、彼のいない場所ではとことん彼を評価する。もちろん『心から』だ。そういう人は、本当の友人である。
なぜならその人は、その人が良くなる方向に進んでもらうことだけしか考えていない。そこに『自分のエゴ』を一切介入させていない。させていれば、見えるところでも彼に対して当たり障りのないことを言うだろう。そうすれば、自分に返ってくる反応も、温厚なものになる。しかし、それでは根底に『自分のエゴ』がある。それを優先させている人間には、『真の友人』を語る資格はない。
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