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リチャード・カールソン『人は自分が気分に支配されていることに気づかない。だから、突然人生がしんどくなったりするのだ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]アメリカ作家 リチャード・カールソン[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察

私の周りにもこういう人間は大勢いる。そう言うと、私がそれに該当しないような言い回しになるが、その通りだ。私は該当しない。なぜなら私は、『気分屋』が嫌いだからである。トラウマが影響している。その場の見栄や虚勢、気分によって人格を横柄にし、一線を超えて理不尽をする人間に、ひどく心を傷つけられた。

 

 

まだほんの幼い頃だ。それなのに、そこが『~プリンスホテル』というロッジ調の宿泊施設で、兄弟と従兄弟の四人と、私の父親がいて、父親が見栄に支配され、私が痛い思いをして泣いている。そんなシーンが焼き付いているのである。そして、それ以外の周辺の記憶は覚えていないのだ。これで納得いったはずだ。私は『気分屋』ではないということが。

 

今では逆に感謝している。なぜなら、(絶対にそうならない)と誓ったことが、セルフマネジメント(自己管理能力)の強化となったからだ。私はそれに長けているという自負がある。長けすぎていて、逆に周囲からすれば、『あり得ない』と目を疑うことが、常である。稀ではなく、常である。

 

そんな私だから、ブッダ(釈迦)が言う様な、

ブッダ

 

という様な考え方を、一発で理解できる。彼らは本当に虚ろで、場面場面で押し寄せる自分の感情の波に突き動かされては、一喜一憂している。そしてひどいのは、(それが人間だろう)という自己弁護は正当である、と思い込んでいるのだ。

 

もし『それが人間』だということになれば、突発的に、衝動的に、人を殺めて、『つい魔が刺した』という人が正当化されるが、それでいいだろうか。いいわけがないだろう。

 

支配されるのではない。支配するのだ。今すぐにでも真逆の発想を持たなければ、人生に悔いが残るだろう。もっとも、そういう人は『正当化の癖』がついている。最後の最後まで、美化、正当化をしかねない。『悔い』はいろいろな形で訪れる。私の父親は、肝臓がんで死んだ。それは、なぜだったのだろうか。

 

 

 

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