index

安岡正篤『偉くなることは、必ずしも富士山のように仰がれるようになるためではない。なるほど富士山は立派だけれども、それよりも何よりも立派なのは大地である。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

運営者
ふむ…。

[adrotate banner=”6″]

目次

考察

『偉くなることは、必ずしも富士山のように仰がれるようになるためではない。なるほど富士山は立派だけれども、それよりも何よりも立派なのは大地である。この大地は万山を載せて一向に重しとしない。限りなき谷やら川やらを載せてあえていとわない。常に平々坦々としておる。この大地こそ本当の徳である。我々もこの大地のような徳を持たなければならぬ、大地のような人間にならなければならぬ。』

 

 

これを受け、率直に思うことがあるので、書いた方が良いだろう。最近、私が少年時代からずっと好きだったとある有名人が、『馬鹿』に見える時がある。その人は、本当に天才的でカリスマ的だと思うし、今でも全くその才能に衰えはないと見受けられるが、しかし、前述したことが本当にあるのだ。『馬鹿』に見えるのである。

 

彼はどうも、『富士山』にこだわりすぎている印象を持つ。そして、それ以下にいる人間を見下し、『自分はお前らとは違う』ということを、常に抱いていて、それがたまに凶器のように鋭くその『格下』の相手を突き刺すときがある。

 

大体の人は彼のカリスマ性にぐうの音も出ず、泣き寝入りするが、最近、その『格下』の人間の一人に、この『常に平々坦々としている大地』の様な人間がいて、それと彼とのやりとりを見ていると、カリスマ性のある彼が、『馬鹿』に見えてしまったのだ。それは、今までも何度もあったことで、しかし盲目的になっていることから、私はそれをスルーして来たが、この『格下』の人間とのやりとりは、その印象が特に顕著なものだった。

 

彼はおそらく、本当は自信が無いか、あるいは麻痺している。一番考えられるのは、彼が幼少期に強いられていた家庭環境であり、その時に父親に一切認めてもらえなかった事実から、『能力のある人間が認められないことは理不尽だ』という思いが強くあり、それでこうして自分の主張を、相手を蹴落としてまで、やるようになった、という心理背景であるが、

 

しかし前述した通り、それでも彼は『馬鹿』に見えたのが事実だ。どこか固執していて、執着していて、器が小さい。そういう印象を受けた。群雄割拠のその世界で、その立居振舞は、自然と身についたものかもしれないが、やはり『徳』とかそういう話になるのであれば、彼には『才能』はあっても、『徳』はないだろう。

 

最近、その『格下』の人間が、偉業を成し遂げた。幾多もの重しを受けて、それでも自分のプライドを見失わなかった彼には、『徳』があったのである。彼は、その分野の『富士山』に重圧をかけられ、『出る杭』として打たれたが、『常に平々坦々としている大地』のように振る舞い、それを糧にして、違う分野で『富士山』となった。

 

 

 

 

[adrotate banner=”7″]

関連する『黄金律

あわせて読みたい
『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』   第9の黄金律 『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』   他と異なることで迷うことなど何もない。元より、唯一無二の命なのだ。例えば、それだけでそこには...
あわせて読みたい
『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』   第10の黄金律 『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』   生命が、その命を度外視してなし得ることは、尊い。   『人生は物語の...
あわせて読みたい
『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』   第11の黄金律 『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』   自分のこの命を何と心得る。この広漠とした果てしない宇宙、過去、未来...
あわせて読みたい
『「生きる」ということの本当の意味とは。』   第12の黄金律 『「生きる」ということの本当の意味とは。』   『生きる』というのは命の躍動だ。命の浪費ではない。   『生きるとは呼吸することではない。...

同じ人物の名言一覧

あわせて読みたい
安岡正篤の名言・格言一覧 日本の哲学者。生誕1898年。男。(画像) 名言一覧 『我々の生活が自堕落になったとき、心から馬鹿と叱ってくれる畏敬する人を持つ者は幸いだ。』 『いい年になったら早...
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次