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三宅雪嶺『深く考えうるよりも断乎として行うにある。考うるはよい。出来るだけ考うべきであるが、考うるに際限がない。或る辺に思い切りを付けねばならぬ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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考察

『深く考えうるよりも断乎(だんこ)として行うにある。考うるはよい。出来るだけ考うべきであるが、考うるに際限がない。或る辺(あたり)に思い切りを付けねばならぬ。』

 

いくら考えても、キリがない場合がある。なぜなら人間の思考や心というものは、無限大だからである。臨済宗の祖、栄西は言った。

 

意味はこうだ。

『人間の心は広大だ。天空の高さには圧倒されるが、心はその高さをも超えることができる。大地の厚さはとてつもないものだが、心はその厚さをも超えることができる。太陽や月の光は厳かで秀麗だが、心の輝きはその光をも凌駕することが出来る。そして、この宇宙は果てしないものだが、心は宇宙を越えて無限である。』

 

人間の心が無限大であることを示唆する言葉だ。また、『リカージョン』というのは、自分の脳で、自分の脳のことを考えること、あるいは、『無限』という概念を想像することを言う。これが出来るのは地球上で人間だけと言われている。

 

 

プリニウスも、

 

と言ったが、これらを考えてもわかるように、人間の思考というものも、無限大なのである。そんな無限大の能力を持っているのだ。これは前向きに有効活用しない手はない。考えてどうしても答えが出ないなら、自分のその無限大の可能性を信じて、行動あるのみだ。それをしても死ぬし、しなくてもいずれ死ぬのだ。どうせ死ぬなら、やるだけやってから死にたい。

 

 

 

 

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