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源豊宗『「縁」とは予期しない偶然性である。そこに人生の妙味がある。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]日本美術史家 源豊宗[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

そもそも『縁』など思い込みである。『これも何かの縁ですね』と言う言葉を言った人が、今、私の周りにはもう一人もいない。つまり、本当にただの偶然なのである。思い込みだし、偶然だし、幻想だし、錯覚。私は社交辞令が嫌いだし、表裏的な人間も利己的な人間も嫌い。だからこのセリフを特定の人物に好んで言う事は、これからもないだろう。

 

『四聖』に数えられる、

 

孔子

孔子

ソクラテス

ソクラテス

ブッダ

ブッダ

キリスト

キリスト

世の偉人たち。

偉人

 

彼らの言葉とたくさん向き合ったから言えるのだが、人間、突き詰めれば到達する場所は皆同じ。例えば以下の黄金律を見てみよう。

 

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これと同じ的を射た偉人たちは、122人いた。私が数えただけでもそうだ。そしてそれは名言で考えただけでそうしているだけだから、実際にはもっといたかもしれない。

 

生きた時代が違い、性別が違い、宗教が違い、それぞれに個性がある中で、どうしてこの事実に皆はたどり着いたのだろうか。その共通する要素に『縁』を感じるのであれば、それは本当は人間全員に対して『縁』を感じたのと一緒だ。

 

我々は同じ時代を生きている『縁』がある。あるいは、同じ人間を生きている『縁』がある。何の因果か縁なのか、我々はこの星に生まれ、人間として生きている。私はむしろ、このことの偶然性について、必然性を見出したい。

 

 

 

 

 

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