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松永安左エ門『ひとつの力を養ったら、二の欲を出せ。二の力を得たら、三の欲を出せ。人間は決して小成に甘んじてはならない。だが、小成を馬鹿にしてはならぬ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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考察

『小成(しょうせい)』というのは、小物という意味だ。小さいことを成し遂げて満足する人間を、揶揄した表現である。しかし、『小成を馬鹿にするな』と続ける。馬鹿にした表現を使っておきながら、馬鹿にするなと言うのは一見矛盾している。しかし、実際は矛盾していない。それはどういう意味か。

 

例えば、『見どころがある人間ほどよく叱られる』と言うだろう。ということは、それは暗に『見どころが無い奴は叱られない』と言っているわけだ。その時点で、そこには格差がついている。地位、名誉、財産、評価、しっかりと差をつけられてしまうのが、この世の現実だ。

 

 

叱った人間は、

 

(俺は自分の潜在能力を買われたんだ。信用されたんだ。信用に答えなければならない。俺は出来るんだ。出来そこないじゃないんだ。褒められて喜んでいるようでは、二流なんだ。)

 

と思い、奮起するだろう。しかし、その時点で、一流と二流とで、格差をつけてしまっている。ただし、これらは全て、『自分に対する評価』だ。誰か他の人を見つけてきて、その人を『小成』とか『二流』と言っているのではない。

 

あくまでも、自分がその様な人間に成り下がってしまってはならない、という風にブレーキをかけるのであって、いや、確かにそこには、自分がそうなることは『成り下がる』ことだと自覚しているわけだが、世の中には、どう頑張っても実力を発揮できないまま命を終えていく人間もいるわけで、

 

あるいは、『小成』の時点で、予期せぬ死を迎えてしまう者もいるわけで、だとしたら、その様に誰かを『小成め』と揶揄して吐き捨てる、ということではなく、あくまでも、自分は努力すれば大きなことが出来るかもしれないのに、勝手に決めつけ、小成に甘んじて、楽をし、二流に成り下がり、卑下して、軽薄になると、本当はなれたはずの一流の自分になれない、という『機会損失』についてを戒めているわけなのである。

 

 

 

 

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