偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]アメリカの詩人 フロスト(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
これは厳密に言うと、『愛』ではない。愛とは、『抑えきれない欲望』ではない。例えば、ストーカー殺人があった。彼らからしたら、『あの人が好きで仕方がなく、他の誰の者にもしたくない。あの世で一緒になりたかった。』と言うのだ。そして殺人行為に走った。そのどこに『愛』があるのか、じっくりと考え直した方が良い。
例えば、『阿部定事件』というものがあった。
阿部定事件(あべさだじけん)とは、仲居であった阿部定が1936年(昭和11年)5月18日に東京市荒川区尾久の待合で、性交中に愛人の男性を扼殺し、局部を切り取った事件。定は逮捕されると
「私は彼を非常に愛していたので、彼の全てが欲しかった。私達は正式な夫婦ではなかったので、石田は他の女性から抱きしめられることもできた。私は彼を殺せば他のどんな女性も二度と彼に決して触ることができないと思い、彼を殺した…」
なぜ石田の性器を切断したかは
「私は彼の頭か体と一緒にいたかった。いつも彼の側にいるためにそれを持っていきたかった」
と供述している。
───『Wikipedia』▲
この話の滑稽なところは、この事件の後、阿部定に全国の女性から、ファンレターが届いたというのだ。
『あなたの気持ち、わかります。』
そりゃあそうだろう。このフロストでさえ、『愛』の定義について、間違って解釈しているのだから。
トルストイは言った。
あるいはこうも言った。
『愛』は、与えるもの。『恋』は、奪うものだ。彼女らにあったのは、『恋心』である。真実の愛さえ知っていれば、そういう結果には至らなかった。もちろん、この事件の場合は、男の方にも『愛』がなかった。女の責任だけということではないのだ。お互い様だったのである。つまるところ、フロストは『愛』と『恋』を間違えて解釈している。抑え、没我し、包み込むのが愛だ。
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