偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]スペインの哲学者 バルタサール・グラシアン(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
このたった一度の人生という航海において、舵取りの判断を見誤り、暗礁に乗り上げて座礁することは死を意味する。『見えないふり』というのは厳重に注意して考える必要のある言葉である。まるで 『触らぬ神に祟りなし。見て見ぬフリをして自分たちだけ綺麗に生き延びよう。』とでも言うかのようなこの言い回しには、厳重に注意して考える必要があると言っているのだ。
聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。
『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』
つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。
その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。我々は普段、体内にある悪性の菌やウイルスを『見えないふり』をしているではないか。ダニやホコリはどうだ。落ちているゴミや、からまれている人はどうだ。掃除したか。清潔にしたか。助けたか。救ったか。
あるいは、どちらを助けたのだ。からまれている人か。それとも、からんでいた人の人生か。途上国の生活は?今この瞬間に亡くなっている、少しのお金があれば助かった命は?
太宰治は言った。
なるほど、そこまで考えると、見えて来るものがある。『愚かさ』は決して、『世間の悪』だけではない。その存在を認めなければ回らない、この世の循環があるのだ。
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