偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]スペインの哲学者 バルタサール・グラシアン(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
『どんな長所をもった人物も、世間の支持がなければ、石ころだらけの道を歩まねばならない。善意の衣をほどよくまとえ、他人にあらさがしされることはまずない。世間はそいういう人の短所は見たがらない。』
しかし私はそれを逆手に取る。まず見るべきなのは、中国の思想家、魯迅のこの言葉だ。
『石ころだらけの道』で結構。もともと地上に、道などなかったのだ。そこを人が歩いた。そして大勢の人が歩いている道ほど『王道』と言われるようになった。そこを歩けば妙な安心感がある。事例もたくさんあって、安心、安定を求めたい人、例えば子どもなんかがいる人の場合は、その道を欲する。
しかし私は人生が一度しかないことを知っている。人が歩いた道を歩くことは『自殺行為』ですらあるという、エマーソンのこの言葉に、心から賛同する。
『だれでも教育を受けている過程で嫉妬は無知であり、模倣は自殺行為にほかならないという確信に達する時期がある。』
あるいは、ショーペン・ハウエルの言う様に、
ということなのだ。人生は『王道』以外に道があり、往々にして刺激的で生きがいのある道は、別の道である。もちろん、人の道に逸れる『外道』を歩いてはならない。しかし、岡本太郎は、
こう言い、岡本太郎は、
こう言う。たった一度の人生だから、自分にしか歩けない道を、ひた歩きたい。
ただ、それを考えた上では、バルタサール・グラシアンのこの言葉はなかなか傾聴に値する言葉である。しかしこの言葉を詐欺師まがいの人間が見れば必ず悪用するはずなので、そのような方向で考えることは二流以下であるということがすぐにわかる。最も運のいい一流は、『自分を貫いて人からも支持を得る』人間だが、下記の黄金律があるように、
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その支持してくる人間の評価は、元々当てにならないものである。
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