偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]レバノンの作家 ハリール・ジブラーン(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
赤信号、皆で渡れば怖くない。だが、赤信号は『止まれ』だ。
例えば100人が赤信号で渡ったとしても、それが真実である。赤信号で皆が渡っていたからと言って渡り、ダンプカーに轢かれて死んでも、文句を言う事は出来ない。死んだ後に責任は運転手が負うことになるだろうが、命は戻ってこないのだ。それに、『赤信号で渡った』のがいけない。普通、常識のある人が考えたら、そういう結論になる。
では、『常識』とはなんだろうか。常識は、『大勢の人が抱いている概念、意識』であるからして、だとしたらその『赤信号を渡った100人』は、比較的大人数だったことになる。しかし、彼らの『常識』は間違っていた。つまり、『常識』など当てにならない。あってないようなものだ。大事なのは『真理』である。真理とは、いつどんなときでも変わることのない物事の真実。『大人数』ではない。『常識』でもない。軸にするべきなのはたった一つ、『真理』だけなのである。
ソクラテスは言った。
広告の神と言われた、クロード・ホプキンズは言った。
さて、彼ら偉人の言葉に謙虚に耳を傾けると、どういう答えが見えて来るだろうか。例えば私の意見ならこうだ。
これを理解してくれないと、理不尽だ。私は、親のアイテムではない。アイテムなのであれば、長きにわたって強要され続けた、クリスチャンであるべきだという要求も受け入れなくてはならない。だが、私はクリスチャンではない。仏教徒でもイスラム教徒でもない。
私には『意志』がある。あるのに、『ない』ような態度を取るのであれば、なぜ私を産んだのか?なぜこの『意志』を持って私は、この世に生まれたのか?
私は親に感謝しなければならない。親がいなければ、私は存在しないからだ。だが、私には『意志』がある。この『意志』を踏みにじろうというのであれば、たとえ親でも、私はその『意志』で持って対抗する。それが私が『この世を生きる』ということだからである。
そしてそもそも、『意志を踏みにじる』人間は、親ではないのである。
親にとって子供は宝だ。一心同体だ。だが、実際は一心同体ではない。私はそれを、『父親だけが先に死んだ』とき、理解した。それぞれが唯一無二の命を生きているのだ。このことを本当に理解した時、人は最も望ましい人間関係を構築することができる。
- 依存
- 執着
- 束縛
- 嫉妬
- 差別
- 憎悪
そういった間違った感情を持つことのない、望ましい人間関係を。
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