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テオドール・フォンターネ『正しい倹約は、かならずいつも倹約できるわけではないということをけっして忘れないものだ。いつも倹約しようと欲しては、破滅するだけだ、道徳的にも。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ドイツ作家 テオドール・フォンターネ画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察

私が以前書いた、キリストの言葉の超訳の、

 

ということ。これはフォンターネの言う『行き過ぎた倹約は正しい倹約ではない』ということと同じ意味である。それは『ケチ』である。ケチは、滅びる。ピタリ、超訳の言葉と同じことを言っている。

 

  • 適切な節約=倹約
  • 過度な節約=ケチ

 

ということである。

 

『正しい倹約は、かならずいつも倹約できるわけではないということをけっして忘れないものだ。いつも倹約しようと欲しては、破滅するだけだ、道徳的にも。』

 

例えばこの『いつも倹約しようとして欲すると破滅する』という言葉の対義語を考えると、『いつも自己を犠牲にして人に奉仕する人は恩恵を得る』というイメージが浮かび上がってくる。

 

ソクラテスは言った。

ソクラテス

 

ソクラテスが指定するこの『理想の指導者』も、自己を犠牲にして恩恵を得る、そういう人徳のある人物のことである。

 

私はこのことがよくわかっている。以前、とあるショップの店員にかなり横暴なふるまいをされた。刹那ではその人に復讐することを考えたのだが、それは現実的ではなった。したがって私がとった行動は、『真逆の行動』だ。

 

往々にして、押してダメなときは引くのがベターである。単純にドアをイメージして、いくら押しても開かない場合、それでイラついて、何が何でも押して開けようとすると、ただただ自分の無力さを思い知り、余計にイラつくだけだ。そういう時は、すぐにそのドアを『引く』ことにシフトチェンジするのがいい。するとドアは開くのだ。最初からそのドアは『引きドア』だったのだから。

 

ドア

 

つまり私がその人にいくら横暴なふるまいをされたからといって私も同じように振舞い、わるいはそれ以上の暴力で仕返しをしようものなら、当然私は逮捕されることになる。何もしていない私は、理不尽な負を受け、それに毒され、自分自身が負になってしまう。そういう現実を想像したとき、それは現実的ではなかった。

 

だとしたら、その方向でないのだとしたら、シフトチェンジしかなかった。そして私はその人物にプレゼントをあげることにしたのだ。真逆の行動をとることにした。『北風と太陽』である。

 

すると、しばらくすると私はその人物やその周りの人々から、手厚くもてなされるようになった。私に使われる言葉は必ず敬語であり、粗相のないように慎重に対応するようになった。

 

  1. 『いつも倹約しようとして欲すると破滅する』
  2. 『いつも自己を犠牲にして人に奉仕する人は恩恵を得る』

 

私はこのことをよく理解している。私はそのプレゼントを買うのに多少のお金は支払ったが、それはむしろこれからも支払い続けるつもりでいる。それぐらいのお金、また稼げばいい。お金は天国へ持っていくことはできないのだ。お金を払って恩恵を得ることを推奨しているのではない。自己を犠牲にして人に奉仕する人は恩恵を得て、エゴをひた守って権威に執着する人間は、破滅するのである。

 

 

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