偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
しかし自分の人生に『よし』と言う事は、なかなか出来ない。そんな言葉が頭をよぎる人も大勢いるだろう。そして『よし』と言う事は、どういうことなのだろうか。ではまず、『よし』と言うために必要なのは何だろうか。卒業・入社・取得・合格、地位・名誉・財産の確保、確立、コンプレックス・弱点の克服、結婚・出産、治療・治癒・教育の達成。
我々には様々な『目的、目標』があるが、これらを達成したら、『よし』と言えそうだ。そう言って、歓喜に極まる姿は想像にた易い。
では、人を殺してしまった人、あるいは、殺された遺族の人、また、その後の成長の可能性があるのにも関わらず、『よし(ここが限界)』と言って、可能性を打ち止めてしまった人は、本当に『よし』と言っていいのだろうか。言えるのだろうか。
どうも話がきな臭くなってきた。自分の人生に『よし』と言う。それに何か意味があるのだろうか。もちろん、ある。それを言う事で、大きな喜びに浸れるし、あるいは心を支配していた鉛の様な重さの鎖を、解き放つことが出来る。だが、いささか、『現実逃避、正当化、美化、援用、隠蔽、捏造、歪曲、曲解』という概念がある中で、この話を軽はずみに終わらせるわけにはいかなさそうだ。
ブッダは言った。
元々人間は死ぬ。その中で、『よし』と太鼓判を押して奮起させることは、確かに、生きる勢いを増すことの出来る、カタパルトのようなものである。だが、究極的に考え、前述したような不遇の環境に生きる人も含めて、人間全体を考えるとなると、
ということなのかもしれない。
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