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鈴木正三『修行とはわれを尽くすことなり。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

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ふむ…。

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目次

考察

『我を尽くす』。どういう意味だろうか。

 

天才棋士、羽生善治は言う。

 

もうこの言葉に尽きるだろう。逆に『人を尽くす』ことなど出来ないのだ。『人に尽くす』ことは出来るかもしれないが、『人を尽くす』ことは出来ない。『我に尽くす』ことだけだ。出来るのは。自分の武器が、剣なのか、斧なのか、弓矢なのかは知らない。だが、磨き上げよ。自分にしかない武器を磨いて、人生を生き貫こう。

 

 

追記:2018年1月

先日こういうニュースを見た。

インターネットゲームなどのやり過ぎで日常生活に支障をきたす症状について、世界保健機関(WHO)が2018年、病気の世界的な統一基準である国際疾病分類(ICD)に初めて盛り込む方針であることがわかった。WHO関係者によると、18年5月の総会を経て、6月に公表を予定する最新版のICD―11で、「Gaming disorder」(ゲーム症・障害)を新たに盛り込む。17年末にトルコで開かれた依存症に関する会議で、最終草案を確認した。

 

ゲーマー

 

私は先日、『ゲーマー』の人生にくぎを刺し、『一日中ゲームをやるのはどうかと思う』と意見したところ、その人の反応が悪く、(少し言い過ぎたかな)と気を落としていた。そしてその後にすぐに謝罪のメールを打ち、自分は偉そうだったと付け加えた。だが、本当のその後すぐにニュースを見ると、こういう記事があったのだ。「Gaming disorder」(ゲーム症・障害)。私はやはり的を射ていた。しかし、その人物が返してきたメールの内容はこういうものだった。

 

『色んな生き方があるからね』

 

それはまるで自分の生き方を正当化しているようにも、自己弁護しているようにも見える言い回しだった。私は(確かにその通りだ)と思ったのだが、そのすぐ後に見たこのニュースで、複雑な心境になった。

 

『修行とはわれを尽くすことなり。』

 

ゲームの大会賞金が1億円を超えるようになった現代で、ゲーマーというのはどこまで『わが道』として通用するのだろうか。なぜゲームはダメで、将棋を指す羽生善治や、チェスを指すボビー・フィッシャーを偉人として認めているのだろうか。ゲームで利益を生むようになれば、プロになる道があれば、話は変わってくるのかもしれない。そうじゃないから依存症という病名がつき、障碍者扱いされるのかもしれない。

 

義利合一』。これは孔子と孟子の教えだ。利益だけに目が眩んではダメ。しかし、義に徹して利益を生み出せなければ、そこにいる人間の衣食住はそろわない。人間というものは何かの道でプロにならなければならない。『ゲーム症・障害』と言わせないためには、ゲーマーはその道でプロになる必要があるだろう。

 

 

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