偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。
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目次
考察
『穏やかに繰り返される生活』で得られるものを考えれば良い。それは、『健康』である。心身共に、健康であることで、『不健康な人から見た不幸』も、『幸福』になり得る。何しろ目の前に広がっている光景は、自分の心が映し出した『鏡』だ。
ロシアの作家、アルツィバーシェフは言う。
『不幸な現実』などない。あるのは自分の心だけだ。
『おだやかに繰り返される生活の支えなしに、幸福というものはあり得ない。』
健康の有難みをわかっている人は、一度不健康な目に遭っている人だ。ある女性の陸上選手は、なぜその道を選んだかと聞かれ、こう答えた。

私は身体が弱かったんです。こんなに動けなかった。だから、動けるって本当に素晴らしいことなんだと思ったんです。私はこの身体を思う存分使い切りたいと思いました。そうじゃないと罰が当たるって思ったんです。
私の周りには、常に自分が被害者で悲劇のヒーローであるかのように振舞う、『幼少期に事故で兄を亡くした』人間がいるが、彼は五体満足で、両親もまだ存命である。そして、彼は生きているのだ。兄と違って、まだ生きている。たったそれだけのことを考えても、彼は決して被害者などではない。カンボジアでは、先人たちの勝手な都合で埋められた地雷を踏んでしまい、片足を失った少年たちが、藁で作ったサッカーボールを松葉づえをつきながら蹴って遊ぶ光景を見ることができる。その点彼はどうだ。まだ生きている。その決定的な事実を理解できないなら、彼は一生、不幸な人間である。
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