偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]イタリアの政治思想家 マキャベリ(画像)[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察
君主というものは、大勢の人とは違う行動を取るからこそ、君主なのである。その役職を全うする為には、そうであって当然だ。そうでない人間が、君主になどなれない。なれるのなら、その他大勢の人の誰もがつける地位ということになり、君主の存在価値も著しく落ちてしまい、統率にも影響が出るのである。
そもそも、『善』と『不善』という概念の正確性が疑わしい。誰にとっての『善』なのか。例えば、子供が強姦をした。そして、その最愛の子供を庇うべく、親が子供をかくまった。そこにあるのは何か。『愛』か。『善』か。それとも。
ソクラテスは言った。
なるほど。ここまで考えると、いささかそのまかり通っている『常識』の真偽は疑わしい。例えば、『トリアージ』という医療概念がある。この優先順位に従って治療する患者の優先順位を決める、『選別(トリアージ)』をするのだ。これに関しての倫理は批判的な意見が常につきまとう。
しかし、では、
『一人の医者しかおらず、二人の緊急の患者を診なくてはならなくて、一人は、どう考えても治療をしても命を落とすとわかっていて、もう一人の人なら重傷だが治療をすれば何とか一命をとりとめることが出来るかもしれない』
というとき、このトリアージによって『選別』することは、間違いなのだろうか。その行為が『善』なのか、『不善』なのか、果たして判断できるだろうか。難しい判断をしなければならない立場の人間がいる。それは、人と比べて、優れていなければ全うできない立場だ。『優れる』。つまり『優しい人』。これは当然、『易しい人』とは一線を画す存在なのである。
もちろん私は、このトリアージによって『黒』と断定された患者を診る、『ブラックジャック』が大好きだった。
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