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マキャベリ『不正義はあっても秩序ある国家と、正義はあっても無秩序な国家のどちらかを選べといわれたら、私は前者を選ぶであろう。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]イタリア政治思想家 マキャベリ画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

しかし、だとしたら秩序ある国には正義が働いていない印象を受ける。そして、国の秩序を保つためには、不正義を行うことが当たり前だ、という印象だ。だとしたら、秩序=正義、無秩序=不正義、という図式は成り立たないことになる。それでいいのだろうか。全ての人間がそうした図式を信じて今日も明日も生きていくのではないのだろうか。私はこの問題に対し、ある種の興味を抱いている。

 

ある日、私がタクシーに乗ったときのことだ。1メーターだった。しかし、1万円しかなかった。すると運転手が、こう言ってそれを突き返したのだ。

 

[say name=”” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]大きいのしかないんですか!?困るよ、お釣りが無いんだから![/say]

[say name=”” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png” from=”right”]すいません、ちょっと今それしかなくて。[/say]

[say name=”” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]困るんだって!どこかで両替してきてよ![/say]

[say name=”” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png” from=”right”]いや、ちょっとそれは違うんじゃ…[/say]

[say name=”” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]ほら、早く行ってきてよ、あそこで両替をさあ![/say]

 

…その後私が何をしたかは割愛しよう。しかし私は最初、明らかに下手に出ていて、横柄な態度を一つも取らなかった。しかし、そんな私の態度につけ込むようにして、そうした『不正義』は行われたのだ。

 

私も会社をやっている。私の会社でもし、客にそういう態度を取る人間がいたら、彼の『その後』は一切保証できない。客がいくら用意しているかなど、客の自由だ。客は金を払えばいい。従って、様々な支払方法を予期して準備するのは、金を貰う側の人間の責務である。私はそれを受け『割愛するようなこと(不正義)』をし、そして秩序は保たれた。※その時は暴力は振るっていないが

 

私が考えている『正義』は、『平和』であり、『譲歩』であり『謙遜』の上に成り立つ秩序だった。しかしその時、私はその『正義』に逆らって、『(自分が思う)不正義』を行い、そして秩序を手に入れたのだった。そうしなければ、運転手の『不正義』がまかり通り、私は泣き寝入りするしかなかった。それが秩序と呼べるかどうか、考えるべきである。

 

秩序というのは、前述したような『私が考えていた正義』が行われている状態だ。つまり、平和も譲歩も謙遜もないその運転手の傲慢な態度は、『無秩序』を生み出す『不正義』であった可能性が高い。しかし、私がやった『不正義』で作られたあの状態が『秩序』だったかどうか、それは首をかしげざるを得ない。私は、怯えながら両替をしに行く運転手の姿を見て、

 

(どうして最初から自分で両替をしようとしなかったんだろう…)

 

と哀れんだが、世の中には、こういう事例がいくらでもあるのが現実なのである。

 

私の母親も、つい2年前までは、『この家はクリスチャンの家だから、従えないなら出ていってもらうしかない』とか、『あなたは何を考えているかわからない』とか、『(私が部下に対して行う教育を断片的に見て)不愉快だ』と言ってみたりする、極めて罪深い、エセクリスチャンだった。

 

私は、それでも自分に残された最後の親であることを考慮しても、母に対して暴力を振るうとか、言いくるめて論破し、彼女の信仰をぶち壊し、精神的に追い込み、死に至らせるような方向に傾けることはなく、じっと我慢していた。

 

 

しかし母親は、それをいいことに、言いたい放題言い続け、思いたい放題に自分勝手に決めつけて想像し、どんどん私という人格を否定する方向へと道を踏み外していった。しかし、今は違うのだ。今は、この30年で最も関係が良好であると言っていい。それはなぜか。そこも、割愛しよう。しかし今私はマキャベリの言葉を、しみじみと内省しているのである。

 

 

 

 

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