MENU
index

マキャベリ『民衆は、群れを成せば大胆な行為に出るが、個人となれば臆病である。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]イタリア政治思想家 マキャベリ画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
[adrotate banner=”6″]

目次

考察

私もそれは中学時代あたりからよく考えていたことだ。だから私は、集団行動することは多かったが、集団でいるときの友人より、二人でいるときの友人の方が好きだった。いや、というか、前者が嫌いだった。何しろ、『見栄、虚勢』という、私にとって『トラウマ』とも言える、おぞましい人間の変化した姿を目の当たりにしなければならないからだった。

 

 

私はかつて、それに支配された実の父親に、理不尽に投げ飛ばされ、それについて確かに『死ね!』と言ってしまった私もいけないが、10歳にも満たない私をいきなり投げ飛ばし、『死ね』と言わせてしまった父親は、その後、それについて謝罪もせずに『親に向かって死ねとはなんだ!』と、更に力でねじ伏せたことは、許されることではない。

 

その他の場面で、『良き父親』であったからこそ、そのワンシーンは、今も尚記憶に焼き付き、離れることは無いのだ。父親は、その場にいた私以外の子供達4人に、強い大人としての威厳を示したかったのだ。まあ、私が人の心を鋭く洞察するようになったのは、そういった理不尽な大人の行動のおかげだから、今は感謝しているのだが。

 

あれのおかげで随分人の気持ちがどうなっているのかを熱心に考えるようになり、ついたこの洞察力は、恩師には『人間ウォッチャー』と言われたほどだから、そう考えたら自分の今の必要要素を作る、大切な思い出なのである。しかし、そういう風に前向きに転換することが出来たのは、別に父親のおかげではない。

 

さて、それはさておき、マキャベリの言う通りだ。『会衆、モッブ、パニック』という集団心理について考えてみたとき、『会衆』とは、受動的な関心で集まった人達の事。『モッブ』とは、強い感情に支配された集団の事で、暴動が起きるケースなどにあたる。『パニック』は、突発的な危険に遭遇して、群衆全体が混乱に陥ることであるが、だとすると群衆に主体性はない。

 

これらすべての群衆は、『群衆』となって初めて一つの主体となれるのであって、(例えば、暴動が起こせるのであって)、一人になれば、その主体性を失ってしまうのである。

 

かつて私の友人は、集団でいるときの人格と、一人でいるときの人格が違った。(10代の頃だからある種当たり前だが)、私は幼少期にそうしたトラウマ的経験があるから、人に比べて人格に差異がなかったと自負しているが、たった一度の人生だから、どんなシーンにおいても一つの人格を貫く、そういう気概を持って、人生を生き貫きたい。

 

 

 

 

[adrotate banner=”7″]

関連する『黄金律

[kanren id=”22771″]

同じ人物の名言一覧

[blogcard url=”https://www.a-inquiry.com/machiavelli/”]

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次