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マキャベリ『たとえ人の生命を奪っても、財布に手をかけてはならぬ。人は父親の殺されたのは忘れても、財産の失われたことは忘れないからだ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]イタリア政治思想家 マキャベリ画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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考察

父親という存在は、別にいずれ死ぬのが決まっていたわけだ。しかし、財産という存在は、最初から失うことは決まっていない。そこにあるのは『運命』と『人為』である。人は『運命』や『自然』なら受け入れられる。しかし『人為』となると、一気に話が変わってくる。

 

例えば、『騒音』の話だ。今、これを書いている時期は真夏であり、外ではセミが鳴いている。鳴いているセミは、全てオスだ。オスが求愛行動として、その命ある1か月の間に、命を懸けて鳴き続ける。私はそれに、深く感動を覚える。命を懸けたもののドラマは、崇高かつ感慨深いのである。だから気にならない。しかし、上の階に住む人間の『人為的な騒音』は許すことが出来ない。彼らに対しては注意したのだ。3度も。しかし、音を立てるのを止めない。

 

いや、厳密に言うと、7時から23時までは、どんなに音を立てても構わない。あっちも生活をして、音が鳴るのは仕方がない。だが、3度注意を受けたにもかかわらず、むしろ23時から大きな音を立てることをやめようとしないことを続けられては、私は、彼らの葬式にさえ出る気すら、失せてしまうのである。

 

戦や革命で命を落とすことが当たり前の時代なら、人が死ぬ背景には、その時代特有の運命的な事情があったと想定できるかもしれない。だが、それが『人為』だったとしたならば、そこには『怨恨』がまとわりつく。その相手が同じ目に合うまで、『私怨』という名の呪いが解けることはない。

 

ただし、ここでマキャベリが言うのは『たとえ人の生命を奪っても』だ。そうするとやはりここには『人為的に』人間を殺すシーンが存在することになる。だとしたら同じように『遺恨』は残るだろう。その代わり、人を殺して誰もいなくなった後に財布を奪うなら、誰からも恨まれることはない。

 

殺

 

 

 

 

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