偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/02/レディーアイコン4.png” from=”right”]日本の歌手 美輪明宏[/say]
[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/02/シャーロックホームズアイコン2.png”]ふむ…。[/say]
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考察
私の話を例に挙げると、私の両親は、私にクリスチャンになることを強要して育てた。ほぼ洗脳である。ただ私がそうやって大げさに言わないだけだ。そう言っても別にいい。そういう環境だったのである。
そして私は、彼女らが私にそれを強要することを憎んだ。
なぜこいつらはこれだけ嫌だと言っていることを押し付けて来るんだ。だったら出ていってやるよ。だったら死ねよ。だったら俺は俺の道を行く。
私の考え方は、そういう方向に向かった。私は、
もしあんたらが自分の方向を、俺の為に変えるというのであれば、あるいは自分の道を考え直したかもしれない。だが、あんたらは断固としてそれをしようとしない。だとしたら、これから先何があっても、文句を言うなよ?自業自得だぞ。
と考えていたわけで、事実、父親が、私が17歳の時に余命宣告を受けたのを聞いても、私は(へっ、やっと死んだか。これで楽になるな。)と、刹那でも思ってしまったものだった。
しかし私はそれから、その『親が死んだのに平然としている自分』を俯瞰で見たり、内省、そして内観という修行を経て、自分の中でも、変えられるものがあることを知り、そして最後には両親に感謝していた。
お世話になったこと、迷惑をかけたこと、して返したこと、その3つで考えた時、最初の2つはたくさん思い当たるが、最後の1つは、どうしても思い出せない。『肩を叩いた』とか、その程度なのだ。
私は両親に恨みを抱いていたが、それはもしかしたら、『生きているからこそ言える甘え』だったのかもしれない。そう考えるようになった。何しろ死んだらもう、『恨み』も『甘え』も、何をすることも出来なくなるのだから。
私と両親のケースでは、私が彼らに感謝をするという形で、ある程度の不和は解消された。だが私は、もし自分の子供が生まれたなら、その子供が犯した失態は全て自分の責任、そして、子供が成し遂げた手柄は全て子供のもの、そういう考え方で、接していきたい。
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