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ジョニー・デップ『見たくないものには目を閉じられるけど感じたくなくても心は閉ざせない。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]アメリカ俳優 ジョニー・デップ[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

目を閉じれば、目の前に広がっている景色は見えなくなる。だが、目の前で人が暴行されているのを見た時、そこから目を逸らして視界から外しても、一度見てしまったその事実に対する自分の心の動きまでをも、完全に閉ざすことは出来ない。

 

 

『見て見ぬフリ』をしても、それは応急処置である。応急処置とは、『その場しのぎ』であり、それは『完治』ではない。自分の心にモヤモヤが生まれた。だとしたら、それは『完治』したい。その問題を解決することによって。

 

親鸞は言った。

 

その問いにただただ面喰った弟子の唯円に親鸞はこう続けた。

『そなたに千人殺す<業縁(ごうえん)>というものが備わっていないためなのだよ。そなたが人を殺せぬのは決してそなたが善人で心優しい人間だからではない。いいかね、自分でこうしようと決意しても、人間は決して思うがままに行動することなど出来ないのだ。それはたまたまそなたに人を殺さねばならない<業縁>というものがないから殺せないだけなのだ。』

 

人間は、人を殺そうと思ってもなかなか殺せないそれと全く同じように、自分が人を殺したいと思った時も、その高ぶった自分の気持ちを容易に鎮めることは出来ない。つまり、自分の心にうごめく確かなる心情。それがどうも暴れだして、衝動的な行動を取らせようとする。見て見ぬフリをしたり、激情に身を任せて殺してしまったり。それはとても『とっさ』だ。突発的である。だが確かに、自分の心で生まれた衝動であり、それに気づいたら心を奪われていたのだ。

 

こういうことは、自分の心を隠蔽する癖がついている人が、往々にしてよく取ってしまう態度だ。見て見ぬフリは『その場しのぎ』の『楽』である。だが、『楽しい人生』に繋がっているとは、限らない。

 

 

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