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チャップリン『わずかの人間で決めた賞なんて、そうたいした名誉ではない。私のほしいのは大衆の喝采だ。大衆が私の仕事を賞賛してくれるならば、それで十分だ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]イギリスコメディアン チャップリン画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

少数の識者からの評価ではなく、大衆からの喝采を得たい。喜劇王チャップリン、そこにあり、という映像がそこに思い浮かべられる。ここで考えたいのは、『尾崎行雄』と『福沢諭吉』のこの話だ。ある日、筆一本で食べていこうと決めた尾崎が、福沢に『識者(物事の正しい判断力を持っている人。見識のある人)』にさえわかってもらえればそれでいいから、そういう本を書きたいと話したところ、福沢は

 

[say name=”福沢諭吉” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]馬鹿者![/say]

 

と一喝した後、こう言った。

 

 

この話も同じく、『少数派の識者<大多数の大衆』という図式を重んじたワンシーンである。だが、この2つの話が根本的に違うのは、チャップリンの場合は、『私は腐ってもエンターテイナーだ』という誇りが垣間見えること、そして福沢諭吉の場合は、『筆一本で食べるならニーズのあるものにしろ』と言って、『誇り<ニーズ』を優先させたことだ。

 

しかしチャップリンもそう考えると、『識者の評価<大衆のニーズ』と捉えたわけで、同じように見えて違い、違う様に見えて同じという、不思議な話である。チャップリンはこう言った後、第1回アカデミー賞特別名誉賞の授賞式に来なかった。オスカー像もぞんざいに扱った。チャップリンが福沢諭吉であれば、授賞式には出て、オスカー像も貰い、そしてそれをネタにして本を書いただろうか。

 

『猿にわかる様に書く』と言う時点で、『猿ではわからない様にも書ける』わけだが、だとしたらそこにあるのは『表裏性』であり、深淵と浅薄、本質と末梢、真理と流行のように、二つの世界が存在していることを熟知していることになる。そういう福沢諭吉なら、チャップリンの様に、『不器用』な行動はとらないのではないだろうか。しかし、『不器用』だからこそ『笑える』のだ。どちらにせよ、喜劇王チャップリン、そこにあり、ということなのである。

 

 

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