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チャップリン『貧乏は楽しいものだと他人に思わせるのはけしからん態度である。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

[say name=”偉人” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]イギリスコメディアン チャップリン画像)[/say]

[say name=”運営者” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/シャーロックホームズアイコン1.png” from=”right”]ふむ…。[/say]
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目次

考察

『貧乏は楽しいものだと他人に思わせるのはけしからん態度である。貧乏に対してノスタルジアを感じたり、その中に自由を見だしたりする人にはまだ会ったことがない。名声や巨富は拘束を意味するなどと言って貧乏人を説得することは誰にもできまい。現に私は富の中になんの拘束も発見しない。それどころか、私はその中にたくさんの自由を発見するものである。』

 

しかしマザー・テレサは、

 

と言っているのだ。全く真逆の事を言っているのである。チャップリンは『富に拘束はない』と言っているが、マザー・テレサが言う『欧米人』は、横着し、贅沢病に侵され、それが原因で『食事制限を余儀なくされる』だろう。

 

 

二人の言葉に、どうしてこもう食い違いが起きてしまうのだろうか。チャップリンからは、

『貧乏体験で辛酸をなめ、それを富で持って覆した。』

 

そういう人間の一世一代のサクセスストーリーが垣間見え、マザー・テレサからは、

『貧乏、貧乏と言うが、それは自分の心が勝手に決めただけだ。』

 

というこの世のあらゆる苦から解放するべく、真理という知性が垣間見える。一体どちらが『詭弁』を言っているのだろうか。ここにはもちろん、お互いが生きた人生と、強いられた環境が、大きく影響していることだろう。

 

両方とも詭弁のつもりはない。しかし例えばマルコムXが、

 

と言ったように、詭弁は詭弁で、それを口にするまでに強いられた経験が、尋常ではないのだ。『人を殺すことは絶対にダメだ』ということはわかっているが、いざ目の前で最愛の妻と子供が殺されそうになっているのを見た時、その距離からはもう、加害者を銃で撃って殺さなければ助けることは出来ない。そういう場面に遭遇した場合、『暴力という詭弁』は、一時、『真実の愛』に形を変えることがある。だが、『真理』からすれば、『執着』することは愚かなのだ。妻だろうが子供だろうが関係ない。加害者も、自分も、この世の森羅万象は全てが平等だ。

 

なるほど、こう考えると、世の中はとても複雑である。いや、真理になぞらえれば『単純』だ。複雑なのは『人間』なのである。

 

 

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