キリスト教の礎 イエス・キリスト
目次
内省
『適者』というのが難しい。今日生き延びている人間が、昨日死んだ動物よりも尊い。その考え方が『適者』になってしまうのだろうか。今日食べている動物の肉は、自分たちの血となり肉となる為に命を削った。我々人間が『命を奪った』のか、我々人間の為に『命を預けた』のか。どんなに肉食を制限して生きても、この世から肉食の習性が無くなることはあるのだろうか。無いのに自分だけそれをしていて、何が変わるのだろうか。
自己満足? それとも一人でもやり続けることで世界は変わる?
こういう言葉がある。
byクリー族の諺
マテオによる福音書には、
『神は、今日市場にあるその鳥の肉より、明日生きていく人間に価値を見出した。』
というような内容が書いてある。これを『強者生存』だと思うなと、私は言いたいのだ。それは違う。神だなんだかは私には無関係だが、それだけは違うことは、私の積み上げた『勘』が言っているのだ。そして、『適者生存なのだ』と言った。それはつまり、『生き延びるために適しているとみなされた』のであり、『だとしたら、やるべきことがある』と考えるのが、筋だと思うのだ。クリー族の言葉を噛みしめながら。
[alert title=”注意”]※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、運営者が独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。[/alert]
参照文献
[memo title=”聖書”]マテオによる福音書 第10章。[/memo]
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