仏教の開祖 釈迦(画像)
内省
『人を騙す』という行為は、往々にして故意に行われる。だから、(騙していない)という意識が植えつきやすいが、『軽んじる』ということは、往々にして無意識に行われる行為である。(軽んじていない)つもりでも、実際には軽んじていることが多い。例えば、風邪を引いている人がいる。間違いなく彼・彼女を重んじることは、看病をしたり気に掛けることである。しかし、軽んじる人は、
[say name=”” img=”https://a-inquiry.com/health/wp-content/uploads/2019/03/人物アイコン.png”]あっそう、風邪ひいてるんだ。だるいよね。[/say]
などと言うには言うが、それ以降は特に触れない。それよりも自分が楽しみにしている都合があるからだ。風邪を引いている人の為に、その都合がないがしろにされることは許さない。彼は確かに『騙した』わけではない。しかし、『軽んじた』のである。そう考えると、確かに『騙す』ことはしなくても、『軽んじる』ことは常々行われていることである。
だとしたら人としてまだまだ未熟だ。伸びしろがある。あらゆる生き物に対して慈悲の心を育てられるよう、日々鍛錬する必要がある。 それが地球のリーダーを名乗る者の務めだ。
[alert title=”注意”]※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、運営者が独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。[/alert]
参照文献
[memo title=”仏典”]経集148,149。[/memo]
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